モンゴルで憧れの乗馬と観光をしてみたら最高すぎた

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旅のきっかけは一冊の写真集でした。ページをめくるたびに無限に続く緑の大地とコバルトブルーの空が広がり、そこに点のように佇むゲルと駆ける馬が映っていました。

都市に根を張る生活の中で窮屈さを感じていた私は、「何もない場所」に身を置くことで、逆説的に自分自身の輪郭を確かめたいと思ったのです。

こうして9月上旬、ウランバートル経由で100kmの草原乗馬と市内・近郊を巡る五日間のモンゴル旅に出発しました。

1日目〜3日目 草原で乗馬

100kmの草原で乗馬

テレルジ方面へ車で揺られること二時間、舗装路は突如として土道に変わり、視界に緑の海が溢れました。車を降りた瞬間、牧草の甘い匂いと乾いた土の香りが混ざり合い、頬を撫でる風が遠い大陸の呼吸そのものだと実感します。

装鞍を終えた栗毛の小柄なモンゴル馬は、手綱を握ると低くいななき、蹄で大地を軽く叩きました。ガイドの合図で歩みを進めると、草の絨毯が馬のリズムで上下に揺れ、遠くに見える雪をいただくハンガイ山脈がゆっくりと近づいてきます。都市では時間が刻む秒針を聞き流していましたが、ここでは馬の呼吸と蹄の鼓動が時計になり、移動距離を実感に変えてくれました。

二日目の昼、中洲近くの平坦地で小休止。ツーリスト用の簡易キッチンから漂うボーズ(蒸し餃子)の香りが空腹を刺激し、湯気とともに肉汁が弾けると、体内にじんわりと熱が広がります。視線を上げれば、どこまでも続く水平線と、雲の影がゆっくりと大地を横切る光景。人為的な境界が存在しない空間では、「遠近」という概念すら希薄になり、馬と人と空しかないシンプルな世界が広がっていました。

三日目、走行距離が総計で100 kmを超える頃、体は鞍に馴染み、馬のちょっとした耳の向きから心情を読み取れるようになっていました。夕刻、陽が傾き影が長く伸びるなか、最後の丘を登ると眼下に草原の波が金色に染まり、ゲルの白が灯台のように点々と散っていました。地平線に沈む太陽を見届けると、胸の奥に静かな達成感が響き、同時に言葉にできない喪失感が生まれたのを覚えています。大きな自然に溶け込んだ三日間が、都市で抱えていた雑音をそっと削ぎ落としてくれたのでした。

4日目 ウランバートル散策

スフバートル広場


夜明け前に市内へ戻り、ホテルで簡単に身支度を整えてから首都の中心へ向かいました。巨大なチンギス・ハーン像を抱く政府宮殿が朝日に照らされ、広場の石畳が黄金色に反射します。馬に跨る独立の英雄スフバートルの銅像が凛として立ち、周囲では通勤前の人々が温かいモンゴルミルクティーを片手に談笑していました。遊牧の国にありながら、ここには国家としての重厚な時間が流れており、草原で感じた“無限”とは異なる歴史の密度に立ち会った気分です。

Yoshinoya

広場脇の近代的なアーケードへ入り、一風変わった目的地へ。オレンジ色の看板が掲げられた吉野家。メニューには“マトン丼”の文字が並びます。羊肉特有の濃い旨味にクミンシードがほのかに香り、日本の出汁文化とステップの味覚が意外なほど調和していました。ガラス越しに見える渋滞と高層ビルは、急速に近代化するモンゴル社会を象徴しており、腹ごしらえの一杯が異文化の交差点を味わう体験へと昇華しました。

モンゴル国立博物館

腹を満たした後は、遊牧民の歴史を辿る館へ。入口で迎えるのは、鹿の角を模した青銅鏡と、中央アジアのシルクロード交易を示す羅針盤のような展示。大草原帝国の鎧は想像以上に軽量で、機動力を重視した遊牧の戦術が造形に反映されています。2階の民族衣装コーナーでは刺繍とビーズが細密に施されたデル(伝統衣装)が壁を彩り、鮮やかな色合いが草と空の大地で映える理由を理解しました。静かな展示室で馬頭琴のBGMに耳を澄ませていると、ガラスケース越しに歴史の息遣いが通り抜けた気がしました。

ガンダン寺

博物館からタクシーで丘を上がると、黄金の屋根瓦が煌めくチベット仏教寺院が姿を現します。門をくぐると線香の香と僧侶の読経が混ざり、空気が薄いながらも濃密な精神性を帯びていました。高さ26 mの観音像を収める本堂に入ると、信徒が回すマニ車のカランという金属音が響き、照明に照らされた金の仏像が静かに光を放ちます。草原で感じた風とは別の、内側へ吹き込む風の存在に気づき、人間が拠り所を求める普遍性を思いました。

ノミンデパート


再び市街地へ戻り、レトロな外観の百貨店を物色。地下の食料品売り場では乾燥ボーズや馬乳酒が所狭しと並び、フロアを歩くだけで遊牧文化と現代消費社会の融合を体感します。お土産に購入したのは、塩気と乳脂のコクが際立つアイラグキャンディー。レジの女性が流暢な英語で「馬乳チョコも試してみて」と微笑み、国際都市化の波を感じました。

HUN THEATREで民俗芸能を鑑賞

夕刻、劇場の幕が上がると、馬頭琴の深い音色とホーミー(二重唱)の低い倍音が空気を震わせます。ステージ中央に現れた舞踊団が、鮮やかなデルを翻しながら弓を引く姿勢を取り、観客は一瞬で戦場の気配を共有しました。弦が走り、ドラムが脈を打つと、草原で感じた風と馬の鼓動が舞台上に蘇り、心の奥で凧が解き放たれるようでした。

Zochin Chain Restaurantで夕食

公演の余韻を胸に、地元で評判のチェーンレストランへ。メニューのハイライトは羊の背肉を石焼きするホルホグ。鉄鍋の蓋を開けると、熱した玄武岩がゴロゴロと転がり、肉汁の汽笛が立ち込めます。肉は骨離れが良く、塩とタイムのみの素朴な味付けながら、昼間200 gのマトン丼を食べた胃袋が再び歓喜しました。隣席のビジネスマンが乾杯する声に混ざって、私の旅程も次の章へ向けて静かに加速していきます。

5日目 近郊ツアー

ジンギスカン像


夜明けの街を抜け、まだ交通量の少ない東方向の幹線道路をバスで進むと、霜が降りた草原の彼方に銀色の輝きが見え始めました。車窓のこめかみに陽光が差し込む頃、高さ40 mのステンレス製ジンギスカン騎馬像が姿を現します。近づくにつれて鎧の彫刻が朝日を鏡のように跳ね返し、巨大な刃を掲げた姿は英雄譚とSFを融合したかのよう。

エレベーターで馬の鬣部分に設けられた展望台へ上ると、金属の継ぎ目が目に入り、超現実のオブジェが実体を持つ瞬間に立ち会います。手摺にもたれると、広がるステップが淡いグラデーションで遠近を塗り分け、わずかな高低差さえ肉眼で追えます。風が強く、兜の下でこだまする鳴動がヘルメット越しの戦場を想像させ、遠い昔の征服行に思いを馳せました。

展望台を降りた後は、基部の博物館で帝国の西征ルートを示す大理石の床地図を観察。ガイドの説明に合わせ、昨日までの乗馬ルートと地図上の“ユーラシア横断”が重なり、身体と歴史が一本の縦糸で繋がる感覚が芽生えました。

テレルジ国立公園

像を後にし北東へ走ると、花崗岩の巨岩群がうねる丘に到着します。バスを降りると、湿った土の匂いと松の樹脂の香りが交差し、遠くからアカシカの甲高い鳴き声が届きました。ポプラ並木の間を抜ける小径を歩き、岩肌に刻まれた縦の割れ目を登ると、ハイキングの終点で巨大な“タートルロック”が待ち構えています。

岩亀の甲羅を思わせる曲線に触れると、太古の堆積物が風雪で磨かれた滑らかさが掌へ伝わり、数万年の時間を触覚で読む贅沢を味わいます。岩上に腰を下ろし、テルク川が蛇行する谷を眺めると、草原の緑と岩のグレーが交互にリズムを刻み、その上を雲が影絵のように移動していました。

昼食は川沿いのゲルでいただく手作りホーショール(肉入り揚げパイ)。薄い生地が揚げ油を纏ってパリリと鳴り、中から熱々の羊と玉ねぎの餡があふれます。外気の冷たさと油のぬくもりが口内で折り重なり、身体は一気にポカポカ。ゲルの炉では牛糞燃料がぱちぱちと音を立て、煙突から真っ直ぐ空へ立ち上る灰色の線が、無風の空をキャンバスに細い筆跡を残していました。

アリアバル寺院


午後はテレルジの奥、切り立つ岩山の中腹に位置するアリアバル寺院へ。駐車場から888段の参道が始まり、白いマニ車と五色のルンタ(祈祷旗)が風に揺れています。澄んだ空気を吸い込みつつ一段ずつ歩みを進めると、石段のリズムが心拍と同期し、煩悩が汗とともに蒸発していくよう。

山門を抜けた瞬間、香炉の白煙が翻り、赤や青で彩られた木組みの回廊が視界を囲みます。本堂では僧侶の低い読経が続き、窓から差す斜光が金泥の仏像を浮かび上がらせました。寺院の背後にそびえる花崗岩壁が自然の屏風となり、宗教空間が大地と一体化している様子は、草原で感じた無限と信仰の結節点を示しているようでした。

境内の縁から谷を見下ろすと、先ほど登ってきた石段が白い糸のように伸び、その先にゲルの屋根が点描を描いています。ここまでの旅程を空間的に俯瞰し、心に映る地図が立体感を増した瞬間、これまでの移動が一本の物語として腑に落ちました。

モンゴル旅行まとめ

五日間で味わったモンゴルは、広さと深さを同時に備えた不思議な空間でした。果てしない草原を馬で駆けると“距離”の定義が変わり、ウランバートルの喧騒に触れると“時間”の密度が変わる。ジンギスカン像の金属光沢は過去の記憶を反射し、テレルジの風は未来の余白を運んでくる。そんなふうに場所ごとに異なる次元が開き、旅人の感覚を調律してくれます。

帰路の機内で、機体が大草原を離れるにつれ窓の外の景色は抽象画のように単純化しました。クレーターのような小さな集落の灯が点となり、最後には暗闇へ溶けます。それでも瞼を閉じれば、草原の湿った香りや、蹄のリズム、ホーミーの低音が鮮明に蘇り、身体の奥で生き続けていると感じました。

旅は往々にして「持ち帰るもの」の質量で評価されます。モンゴルで得たのは物質的なお土産ではなく、都市生活の背景に隠していた“空白”を再認識する感覚でした。満たすための旅ではなく、余白を作る旅。その余白こそが帰国後の日常に新しい風を通し、思考のスペースを確保してくれるのだと気づきます。

次に草原へ戻る日がいつになるかは分かりません。しかし心の中には、馬の背から見た無限の地平線が折りたたまれ、必要なときに広げられる地図として残りました。都市の雑踏に紛れても、その地図を開けば風が吹き抜け、蹄の鼓動が遠くで響く。モンゴルは、そうやって静かに旅人を呼び戻す力を持っているのだと思います。

この記事の著者:ETweb編集部
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