阪神淡路大震災で私が経験したこと、語り継がなければいけないこと

阪神淡路大震災で私が経験したこと、語りづかなければいけないこと

今から22年前の阪神淡路大震災当時、小学5年生で神戸市中央区に住んでいた私が経験したお話です。

1995年(平成7年)の1月17日5時46分52秒、大きな縦揺れで私は目覚めました。
目を開くと大きな揺れでタンスなどの家具がバタバタ倒れる中、父が私に覆いかぶさり守ってくれていました。

当時、今まで地震を経験したことなかった私は、なにが起こっているかすぐには理解できなかったが、おそらくとんでもないことが起きてると脳裏をよぎりました。

ずいぶんと長い揺れが続いたあと、ぐちゃぐちゃになった部屋を抜け、外に出ようとしました。だけどドアが開かない。父と二人がかりで無理やり開けました。

外に出て自分の家を見ると愕然とした。見てすぐわかるほど・・・だいたい60度ほど家が傾いていました。

その後、消防車や救急車のサイレンがけたたましく街中に響きました。サイレンの音の中、「だれか手が余っている人はおるかー?」「救急車呼ぶにはどうしたらええねん」など、いろんな人々の声で町中は騒然としていました。

みんな初めての経験でどうすればいいかわからなかったのです。

ものすごく怖くなり、これからどうなっていくんだろうと心配が襲ってきました。それと同時に友達の安否が気になってきました。

親に承諾をえて近所の友達の家を回りました。2階で寝ていて起きたら1階にいた友達、階段が崩壊して2階に閉じ込められた友達・・・みんなそれぞれがいろんな危険を経験したけど奇跡的にけが人もなく無事でした。

今でもあの時ほどホッとしたことはありません。

その後、親や近所の友達と小学校に避難しました。小学校には被災者が殺到し、すべての教室や体育館が被災者でいっぱいでした。

ご飯を食べられたのは夜になってからです。1人おにぎり2つ。ものすごく美味しくて泣いている人もいました。

私が避難した教室には1台のテレビがあり、みんな黙って震災特番を見ていました。東日本大震災と同じくどこの局も震災関連の番組を流していました。番組中、隅に死亡者数が載っていて、数が時間が経つごとに増えていきます。みんな身内や友達の安否を心配していました。

でも、あの時代、携帯もなく遠方地の身内や友達に電話をする手段がなかったので、どうすることもできません。

またヘリコプターからの中継で、今まで慣れ親しんだ神戸の街の変わり果てた姿が映し出されたとき、お年寄りの方は涙していました。あの時ほど神戸市民の心を深くエグッたことはありません。

それからのち学校が1ヶ月ほど休校したので、私は学校内にあった復興委員会でお手伝いをしました。市役所へ市からのお知らせチラシを取りに行ったり、行方不明者の名前が書かれた紙をボードに貼ったり、炊き出しを手伝ったり、テレビのドキュメントで被災した町や自分の家を案内したこともありました。

あの時は小学生の手を借りるほど人手が足りなかったのです。なので日本中から来て頂いたボランティアの方の助けは本当にありがたかったです。

仮設住宅に入るまでの約3ヶ月ほどだが、この間に経験したことは今でも忘れないし、一生忘れることはないでしょう。

ちなみに避難している間、おそらくみんな辛かったことは水が出なかったことです。

トイレの水は小学校にあるプールの藻が張った防災用の水をかろうじて使用できたけど、風呂には1ヶ月くらい入れなかったのです。風呂に入れたのは隣町の銭湯が営業を開始したときです。

銭湯まで1時間かけて歩いて行きました。銭湯についても長蛇の列で風呂に入るまで2時間待ち。手足がかじかんで動かなかった。風呂に入っても浴槽は芋洗状態。ようやく一人分だけ空きができて入浴しようと思い、湯船を覗き込んだら垢で底が見えない。

それでも、みんなありがたく入っていました。

その後、私の家は全壊扱いになり、仮設住宅に引っ越しました。そのため小学校の友達と離れ離れになったけど、今でも連絡を取り合っています。

あれから22年が経ち、あのときからずっと思っていることがあります。私が生き残ったのはただ運がよかっただけ。人はいつ死ぬかわからない。だから1日1日を懸命に生きようと。そしてみなさんも1日1日を大切に行きてほしいと。

これだけを伝えたく記事を投稿しました。

最後に

全国各地から来て頂いたボランティアの方、全国各地から救援物資を届けてくださった方、被災者の救出や仮設シャワーの設置、救援物資を運んで頂いた自衛隊の方、応援をして頂いた全国の方には深く感謝します。

みなさまがいなければ、今の神戸も今の私もなかったと思います。

最後に亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
私たちはみなさまと歩んできた歴史を一生忘れません。

ここに神戸市の東遊園地にある慰霊碑に書かれている碑文をご紹介します。

一.一七希望の灯り

一九九五年一月一七日午前五時四十六分
阪神淡路大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒(だんらん) 街並み 思い出

・・・たった一秒先が予知出来ない人間の限界・・・

震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆(きずな) 仲間

この灯りは

奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ

阪神淡路大震災で私が経験したこと、語りづかなければいけないこと

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